2020-2021 特別な2年を想う。

ダガーハキアという、オーストラリアの花があります。

これはブッシュフラワーエッセンスというブランドでは、近しい人への激しい感情を見つめ赦しや率直な感情表現をすることを助けてくれるフラワーエッセンスです。

「許し」は許可の許からわかるように、許容範囲の中で許されます。ということは、それを超えたならば許されません。

「赦し」は、存在のすべてが赦され、認められていること。範囲、幅がない、絶対的なものですね。

私が「生きているということは、神様にゆるされているということだから、人がゆるすのゆるさないのっておかしい」というような目線で、子どものころから大人の世界を見つめていたのは、昔の子だくさんの長男坊だった父の「許し」の許容範囲が広いうえに、紅一点の末娘である妻(私の母)と、養女で一人娘だった母(私の祖母)に「赦し」の側面も相当に鍛えられていたと思われ、その父が、長女の私の赤ちゃんから幼児期までを、ずっとお風呂担当してくれていたらしく、父の複雑な思いを肌で受け取って育ったからではないかと思います。ですから、私が19歳の時の父の急逝は、私にとっては両親を失うようなものだったとも言えます。

なので、私としては母を赦しながら、母の許しの許容範囲の変動に振り回されて、鍛えられもしましたが、そこでいちばんの問題だったのが自分自身への許しで、自分を狭く狭く制限してしまっていたと思います。

ダガーハキアのエッセンスは、10年以上前に、当初、数本だけ手に入れたブッシュフラワーエッセンスの1本です。作り手のイアン氏の書籍には、この花のエッセンスと一緒に行う赦しのワークというものがあります。イアン氏も今でもある程度定期的にそのワークを行うそうです。私も、定期的にとまでいかないのですが、必要と思う時にはするようにしています



本は、現在新品はありませんが、中古は割合手に入りやすいです。


2019年に開催されたイアン氏の来日ワークショップにフル参加したあと、、オーストラリアでの日本人グループへのレベル3ワークショップに参加し、オーストラリア行きをとても迷った私の背中を押してくれたと感じた、大好きなユーカリの巨木はじめオーストリアの木々にお礼のご挨拶をしようと、車で20分ほどの公園の一角を訪れると、倒れて折れた枝があったので、それをいただいて帰りました。

長い間、壁に立てかけてあったのでしたが、先日、ふとひらめいた形にサクサクと削り出し、削ったものを持って、今度は花に会いに行きました。

少し前には咲きはじめだったので、そろそろ見ごろかと…

目立つ花ではないのですが、行き着く手前で写真を撮った時に包まれた梅の和の香り高さとは違う、どちらも素晴らしい香りだけれど、ダガーハキアの香りは「美しい香り」という表現が浮かびました。

ヒーリングワンドを作ろうと思って削り出したのでしたが、思いがけず、ポイントクリスタルをまねた、小さな小さなワンドになりました。

本物のクリスタルなら内側に虹をきらめかすことがありますが、思いがけずカメラのレンズの光が反射して、ダガーハキアの枝から彫り出した小さなクリスタルワンドに太陽が虹をのせてくれました。

枝から削りだす形のひらめきを促してくれたのは、つぼみの時に会ったこの木だったのでは?

「うん、そうよ、虹は、お礼のお礼」…と…ファンタジーと思っていただいてよいのですが、この頃は植物さんと話す人はたくさんいらっしゃるし、植物界も、人とのおしゃべりに慣れてきて、みんなで一緒にできることの可能性を広げられたらいいですね。

小さな枝のワンドには2020-S-2021と、電熱ペンで書き入れています。2021年はまだ始まりですが、いつもの1年の始まりではなくて、世界中の人が大きなふり幅を体験した、コロナやマスクやステイホームなど、お題を世界で共有した1年の翌年。きっとこの2年を多くの人が一生忘れない、そんなことを想って2つの年の数字を入れました。

ダガーハキアの赦しと許しにまつわる投稿をしようと予定して、こんな投稿になりました。

月曜更新、どうにかギリギリ月曜のうちに更新できました…が、この時間では読んでくださる方は火曜になりますね。

来週は前日に書き終えているか、せめて午前中に投稿できるようにしますね。




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