ごめんなさい!
久々化学物質過敏っぽくなり、ぼけぼけして
月曜更新オッケーのつもりが投稿予約をうっかりしていました。
以下ちょっと再編集して今週の月曜の分です。
・・・
私たちは、慣れた人だけで話をしていると
良くも悪くもこれまでのパターンで対話しがちです。
それが居心地がよいならそれでもいいけれど
時にちょっと変えてみるのは新鮮です。
例えば、私は感情的になりやすい人との会話に
あるものを握りしめていて平静を保てたのが印象的なシーンがあります。
その時に手に中にあったのはこれです。
一番上がその時の初めてのもので
要領がわからずに時間かけて大変な思いをして削りました。
数を重ねて、作り方にも慣れながら、一体いくつ作ったでしょうね?
ちょうどいい枝が現れると思わず作ってしまう、枝分かれのハート。
板にハート型を描いて切り出すのではなくて
一本の枝から二つに枝分かれした場所なので
上の丸みふたつと下のとんがりの3か所に年輪があるんです。
芯の同心円を見て、真ん中を目で確かめる安心感は
木のものっていいわね、と、感じるものを割り増ししてくれます。
種を握っていても心地がいいですね。
手の中に納まる、何か握っていると安心する
赤ちゃんみたいな安心感なのかも。
ちなみに、感情的になりやすい人というのは私の実母です。
話せば長くなる、どこにでもある母娘のストーリーですが
フラワーエッセンスに助けてもらって理解してきた
自分のこと、母のこと
この投稿に見えたことが実に自分的にシンプルです。
母は私に安心感をくれた人ではなかったので
母との会話には自分がかき乱されるようになりました。
では安心感を得られず、よりどころない人生かというと
父や祖父母、叔父叔母たちがいて
祖父の庭の植物や動物もいましたから
私は母との傷にとらわれすぎて
いろんなことに遠回りしすぎたのですね。
それにわかったら方向転換
何が大切で、何が喜びで…という
自分らしさに再会するのは楽しいプロセスです。
トーキングストーンやトーキングスティックと呼ばれる
ネイティブアメリカンの文化の中でつかわれる石や枝があって
グループや対人の対話に木や石を置いて
それを持つ人は話す、持たない人は聴いているというもので
枝で彫ったハートはスティックのようで
手の中に納まる小さな石のような存在感です。
久々この春に数個増えました。
彫ること自体が対話であり癒しで
フラワーエッセンスを使いながら体験していることによく似ています。
フラワーエッセンスは自然が大切にされたプロセスで作られ
この枝たちも、たまたまの出会いを大切に作り
大切にされているという意味では似ていて当たり前かもしれませんね。
自然とともに対話する、というこの記事のタイトルは
小さな枝の一部があるというより
立会人のように居てくれるという意味です。
何か作るために枝を切らないことにしている
これもご縁で手に入った枝ですが
樹のトーキングコインなるものを作りました。
これは、ささやかなプレゼントや
モニターセッションのお礼などに使っています。
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